音楽を通して脳を鍛え心を育てる
熊本市西区のピアノ教室 ♪ふるもりポポピアノ♪ ふるもりきょうこです。
「先生のお教室では、くつをそろえましょう や
おじゃましますと言いましょう などと、
ピアノに関係ないことまで指導されるのは、どうしてですか?」
今、♪ふるもりポポピアノ♪ では、
ママやパパとの作戦会議と称して ランチ会ORお茶会をしているのですが、
そこで数人のママから こうお尋ねされました。
そう。♪ふるもりポポピアノ♪の玄関には、
「くつをそろえましょう」というポスターが貼ってあります。
生徒さんたちにもこれを見るようにお話しますし、
毎回、お靴を脱ぐ現場もチェックします(笑)
そうやっているうちに、
言わなくてもできるようになるのですね。
「習慣化」です。
おくつはちゃんと揃えるもんだと。それがあたりまえだと。
それは一見、ピアノに何の関係もないことかもしれません。
お行儀や、しつけと呼ばれる部分で、
ピアノ指導者が口を出すような部分ではないのかもしれません。
しかぁしっ!!
よそのお家に行って、「おじゃまします」も言えないような、
お靴を雑に脱ぎっぱなしにするような、
そんな気遣いのできない 雑な神経で、
「丁寧な演奏」なんて、できるでしょうか?????
お行儀とか、マナーというのは、
自分のためにあるのではなく、相手のためにあるのだと 私は思います。
相手に失礼のないように、
相手にイヤな思いをさせないように、
相手がやりやすいように、
相手にお手間をかけないように・・・
そういった気遣いがお行儀とか、礼儀とか、マナーなんじゃないのかなぁ・・・・・
例えばお月謝袋を先生にお渡しするときに、
袋の向きを先生に見えるようにするのだって、
「自分」がわかりやすくするためじゃなくて、
「相手(先生)」にわかりやすくするための気遣いです。
これは、茶道にもある心得で、
お茶を点てて、お客様に差し出すときには、
お客様にお茶碗の正面が向くように回して差し出します。
「あなたのために点てたお茶です。どうぞ。」
という気持ちです。
おみやげの品や贈り物などをさし上げる時も、同じ。
相手の方に正面が向くようにして、
差し出すのがマナーです。
このように、マナーというものは、
どうしてそうなっているのかということを考えると、
合理的でもあるし、スマートでもあるし、
コミュニケーションの基本でもあると思います。
そう。
相手の事を本当に思っていれば
ある意味、自然とそうなるものだとも言えると思います。
で、そういうことを考えるチカラがないと、
心がおおざっぱになり、
適当にざざーっとやり過ごすことが日常化して、
世の中の繊細なことを感じることができなくなります。
今、相手はどんな気持ちでいるのか、
周りがどんなムードになっているのか、
昨日と何がちがうのか、
これからどうやっていくのが望ましいのか・・・・・
そんなことを自分のアンテナで
ビンビン感じられるような、
敏感な心でいて欲しい。
ピアノを弾くということは、「表現」です。
音楽を表現する。
作曲家の思いを表現する。
時代を表現する。
色を表現する。
あぁ。本当にたくさんのことを表現するのが、
芸術です。
ショパンの音楽は、日本でもとても人気があります。
ロマンティックなメロディーが、好まれる所以でしょうが、
彼がなぜ、あれほどにまで豊かなメロディーを作れたのか・・・・・
それは、「祖国への愛」が根底にあるからです。
ショパンは、ポーランドに生まれました。
ポーランドという国は、とても不安定で、
ソ連(ロシア)とドイツから何度も分割、支配され、
戦火の中心となった国です。
しかも、そのせいで、
何度も地図上から「ポーランド」という名が消えています。
自分の国がなくなる・・・・・
その気持は、今の私達にはちょっと想像もつかないことだけど、
生まれ育った言葉と違う言葉を話すことを強要されたり、
異国の文化が街を占領したりするのを、
胸が張り裂けるような思いでみていたのでしょう。
音楽家の彼ができることは、
その思いを、音楽にのせることでした。
ショパンの音楽が甘くロマンティックなのは、
祖国への憧れと、悲しみ、絶望、願い、
そんなものが込められているからだと思います。
モーツァルトや、メンデルスゾーンのように、
幸せいっぱいの音楽じゃないってことなんです。
そんなことを考えると、
ショパンの曲を演奏するときには、
音の一個一個に、国をなくした人の思いがのせられているようで、
とても雑になんて演奏できません。
私は特に愛国心が強いわけでもないと思うけど、
それでも、昨日まで普通にあったものが、
目の前でなくなっていくことの辛さはわかるような気がする。
最後の一枚の葉っぱが、
風にあおられて枝から切り離されて地面に落ちる、
その瞬間の「かさっ」という音を感じる心。
その葉っぱを誰かが踏んでしまって、
「ぱさしゅり」と粉々になってしまった音を感じる心。
そんな「はかなさ」を感じる気持ちがないと、
ショパンは演奏できないと思う。
クラシック音楽は、
歴史的背景や、作曲家の人生そのものなので、
そんなことも、もちろん私は生徒さんには話すし、
そこが面白いところだとも思ってます。
そういう、眼に見えないものを感じるチカラというのは、
すぐに付けられるものではないので、
それは、長期的に訓練していくものだと思っています。
それは、決して簡単なものではないのかもしれません。
相手の事を思いやるとか、
お靴をそろえるとか、
そんなことさえできない人には、無理だと思います。
なので、最初の第一歩として、
「くつをそろえましょう」というものを指導しているのです。
心を豊かに、繊細に。
表現者として、感じる心をもってもらいたい。
いやいや・・・・・
「表現者として」というよりもその前に
「人として」大事な部分だと思う。
そうやって、相手の事を思いやれるようになり、
コミュニケーション能力を高めておくと、
結局は、自分の人生が豊かで楽しく、キラキラしたものになると思います。
もちろん、お教室だけでお靴を揃えればいいということじゃない^^
別に、私がお靴を片付けるのが面倒とか、
そんなことじゃないんですよ。ははは~。
こういうことは、習慣化させるべきこと。
自宅でも、おじぃちゃんのお家でも、お友達のお家でも、
どこでもできるように、意識しなくてもできるように、
なっていってもらいたいです。
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